アンネの日記の舞台

アムステルダム中央駅。東京駅とは姉妹駅になっていることをご存じだろうか。東京駅のモデルとなったとも。東京駅の八重洲口の由来はオランダ人のヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインからきているという。彼は、江戸時代、オランダから日本に渡り、徳川家康に取り立てられ大砲を関ヶ原の戦いに持ち込むように指示されたが、戦には間に合わなかった。家康に気に入られた彼は、今の八重洲口の近くに住んでいたため、そこを八重洲と名付けたということだ。彼の胸像がオランダから贈呈され、東京駅の地下の隅っこに置かれている。

西教会。王冠と『XXX』。王冠はマクシミリアン皇帝からハプスブルグ家の王冠をアムステルダム市が紋章として使用することを許可され、この栄誉を市民は誇りとして市民は西教会の尖塔にかげるようになった。『XXX』は聖アンドリューの十字架。この十字架は「飢餓・戦争・疾病(ペスト)」の災いが来ないようにとの願いが込められているとも。現在、もっとも市が推奨している意味としては「英雄的で・断固とした・情愛深い」ものであるとする。(前掲長坂)
アンネフランクの『隠れ家』。アンネ・フランクは、1934年にナチの圧政から逃れドイツからアムステルダムへ移ってきた。当時のアムステルダムは、移民に対して寛大であり、多くのユダヤ人が訪れた。この家で2年と1か月の間、隠れていたが遂に発見され、1944年8月4日連行されてしまう。その三日前まで日記を書き続けた。アンネは四階の奥の部屋に隠れていたが、そこからの窓からも見えた西教会。

県議会議員の視察が大変問題になっている時であるが、今回は市の代表として姉妹都市であるナイメーヘンに行かせていただいたものである。費用は政務調査費ではないが、できるだけ詳細な報告をしようと思い、このような報告となった。また、ナイメーヘンアムステルダム、フォーデーズマーチに関するブログでそれほど詳しいものがなかったので、できる限り、オランダ、ナイメーヘンのことを紹介し、その魅力を伝えたいと思って書いてみた。実際に伝わったかどうかはわからないが、かなり詳細に報告できたと思う。

これからは、日本スリーデーズマーチを通して、東松山市の魅力を世界中に発信したいと思っている。それも我々市議会議員の使命である。

今までの政務調査費での視察についても、ブログで全て報告させていただいているので、是非、ご覧いただきたい。

県議会議員政務調査費は年間600万円を超えるという。我々の政務調査費は年間18万円である。この費用で視察に行ったり、書籍を購入したりする。余ったら返還し、領収書も全て添付している。また、飲食代についても朝食、夕食のみであり、アルコール代を含めることはできない。

私も、いろいろ行かせていただいて一般質問に生かし、政策として実現してきたことが何度もある。会派で行った後、委員会で再び訪れた場所も何か所もある。

今回、政務調査費での視察ではないが、非常にいろいろなことを吸収できた。行く前に、前掲の本を読み、行った先でももう一度読んで勉強していた。

姉妹都市として、もっと民間レベルでも盛んな交流ができないかを今、考えている。また、フォーデーズマーチの規模の大きさ、ギャラリーの多さ等、全てが仰天するものばかりであった。一つでも取り入れられるものは取り入れ、世界一位のウォーキングイベントに近づけられるようにしたいと思っている。

最後にアンネ・フランクの言葉で〆たいと思う。『このいまわしい戦争もいつかは終わることでしょう。いつかきっと、私たちが単なるユダヤ人ではなく、一個の人間となれる日がくるはずです』アンネ・フランク