民主松山2084 一読

 民主松山2084(共産党)を読ませていただいた。『おり折りのこと』には、この前の議員辞職否決について、『いじめ』であり、『こんないやがらせをするようでは、市議会の品位・品性がとわれよう』とある。

前にも述べたが、市長選挙云々も個人的な理由にほかならない。個人的な理由でやめるのであれば、それについて納得のいく説明が必要なのは当然であろう。

議員の立場は公の立場であり、議員辞職するのにもそれ相当の理由が必要である。だからこそ、開会中は議会の議決を要するのだ。

そうでなければ、議会に届ければ済むとする届け出制にしていたであろう。

届け出ではなく、議会での議決とした、理由を考えるべきだ。

単に同僚議員として理由を知っていたからといって、それを理由に議会での説明もなく、辞めさせて良いとする理由はどこにあるのか。市民に何と説明すれば良いのか。

『坂本前市長も議員辞職をして立候補したが、これが当然のことだ』と言っているが、前回の市長選挙では前にも述べたが私も立候補に伴う自動失職であり、松坂さんも同じだった。

一事をもって、それが当然だと言い切り、自分と違う意見全てを、『品位・品性が問われる』とする。それが公党である共産党のやり方か。

我々は、事情を知るどころか、前と同じ、当然自動失職だと思っていた。

今、やめることの意義はどこにあるのか。ご自身にも聞いてみたが、自分なりのけじめと言っていた。全然、納得いかないので、続ければ良いじゃないですか、と言った。

その場で、最後までやった方がよいんじゃないですか、多くの人に支えられて議員になったんだから、そんなことも言ったと思う。

前回、私も市長選挙に出たが、議員の立場で最後まで、市民から要望を聞きながら歩いた。そして、通学路の草を切ったりだとか、唐子の通学路のフェンスを作ったり、大岡の通学路で狭くて、子どもが通れないところを広くして直したり、そのたびに役所に足を運びながらやっていた。

議員として、できるだけのことをやり、その延長が市長の仕事だと思っていたので、私はそのような手段をとった。

事情を知っていようがいまいが、何をやいわんや。事前運動のお手伝いでもしろというのか。

やはり、納得のいく説明が必要だと思うし、それが公的な立場である議員のやめ方ではないか。

議員の立場があったら何か不利益があるのか。議員の立場であれば個別訪問をする時でも、市民の方々から要望を聞きながら歩くということができる。議員の立場でなければ、どうやって個別訪問するのか。個別訪問自体禁止されている中で、立候補するから宜しくお願いします、と言って歩く方が、難しいのではないであろうか。

前にも言ったが、がんに侵され死ぬ直前まで、議員として議会に立ち、国民の声を国会に届けた議員がいた。この人の壮絶な人生、その国民に対する責任感こそ見習うべきだと、私は思い、そのよう明確な理由をもって、反対した。

人それぞれ考え方は違うが、大方そのような考え方の議員が多かったのではないであろうか。人、それぞれ考えかたは異なる。細部まで、聞けば、さまざまな考え方があるであろう。

しかし、議会では反対か、賛成しかない。それも場合によっては、短時間で、賛成か、反対を決めなければならない。

どういう意見であっても、尊重されるべきであろう。自分と異なる意見をどれぐらい受け入れることができるかどうかが、民主主義の成熟度を測る尺度であろう。

残念ながら議会は多数決であり、自分の意見と異なる結果になることも多々あった。しかし、ルールを無視して行われているのでは話は別であろうが、ルールにしたがって多数決で決めているのであれば、それも民主主義の中では、已むをえないこともあろう。

私は、一般質問で『こんな』といったら、訂正させられた。これこそいじめだと思った。

毎回、『子どもは、まだ。孫はかわいいよ』などと言われ、それこそ『セクハラ』だと、いつも腹で思っていた。あまりにも、腹立たしかったので、直接、『それって、セクハラっていうんですよ』と言ってやった。

子どもが欲しくても産めない。結婚したくても結婚できない。不妊治療している人もたくさんいる。一般の人が言うなら、支援者だったりすれば、笑って過ごすが、相手が議員では、話が違う。

自分と異なる意見をいじめと決めつけ、一例をもって、それを尺度に、それを当然といい、それ以外をいじめだとか、品性を疑うとかいうのはどうであろう。

前回は、松坂さんも、私も立候補に伴う自動失職の道を選び、私はそれが当然だと思っている。たまたま、そう思った議員が多かった。それを品性がないというのは、非常に侮辱的なことだと思われる。

因みに、新聞で答えている議員は私である。たまたま代表で答えたが、それが個人攻撃の対象にされるとは。個人攻撃も結構だが、『折々』は一体だれが書いているのか。ちゃんと署名記事にして、書いたことの責任を明確にすべきと思うが、いかがか。