続・憲法って何 4

堺雅人演じる半沢直樹が大ヒットしたが、私は彼が演じる弁護士が活躍する『リーガル・ハイ』が結構好きだった。

 彼は、勝つためには何でもやる弁護士であり、デュープロセス(適正な手続き)よりも、依頼者の利益を極端に優先する。舞台出身である彼のハチャメチャな演技と長セリフ、軽妙なのりと、テンポの良い展開に、毎回楽しませていただいた。半沢の重い感じとは正反対であり、より痛快さを感じた。

広末涼子演じる女判事も良かった。自らを『一番黒の法服が似合う』裁判官と称する彼女は、転勤する先々の方言をすぐにマスターしてしまうほどの優秀な裁判官である。

世界遺産の認定をめぐり町民が、開発か自然保護かで対立する町に赴任し、そこでの調停で堺と再び出会う。

自然保護か、開発か、意見の分かれる町民に対して全町民に対してアンケート調査の実施を提案する。アンケート調査の結果、1票でも多ければ、その意見に従う。そのような提案を、広末演じる裁判官が言いだす。

それに対して、堺の相棒である、新垣結衣演じる新人弁護士が、「司法に民主主義を持ち込むことはいかがなものでしょうか」と反論する。

私は、このセリフに『たしかに』と思った。先にも述べたが、憲法には民主主義を採用しているとは一言も書いていない。平和主義や、人権尊重、平等主義、そこには過去の歴史において踏みにじられてきたものが、建前として成文で書かれている。

司法の場は、前にも述べたが民主政と投票箱とは離れたところにある。それを表するなら、裁判官は無殺菌状態の温室で育った一輪の花である。それが綺麗に展示されている場所が司法の場である。

ほとんどが司法試験という、民主政の過程とは無関係の場所で勝ち抜いた法律の専門家集団である。赤提灯という言葉がわからず、あまりにも世間知らずだということで、司法の場に一般人が参加するようになった。これが裁判員制度である。

この裁判官が国会という民主主義の上に立つ合議体の意思決定をそう簡単に覆してもらっては困る。このことを一般的に司法消極主義という。司法試験で合格しただけの裁判官たちは、国民の意思である国会の決定を尊重しろ、そんな意味合いか。

これに対して、バンバン国会の決定なんてひっくり返してもかまわない。このことを一般的に司法積極主義という。司法権に最も信頼を置くアメリカでは、司法積極主義をとっている。これは歴史から来るものであろう。

イギリス議会の植民地支配や、課税権に対抗したアメリカは議会に対する信頼よりも、司法権を信頼している。西部劇で町の保安官が町の有力者として活躍するが、保安官は行政官と裁判官を合わせ持つ役職で、町のヒーローである。

日本は、何度も言うが司法試験に合格しただけの裁判官は、国会の意思決定を尊重しなければならない。司法消極主義と言える。なんでもかんでも裁判官が『俺の判決に従え』と言えるわけではないのである。

このことを踏まえて一票の格差問題について考える。この問題は非常に難しい問題であるので、詳しくは後ほど。