続・ 憲法って何 2

9月議会が終了し、その報告をしないまま、決算特別委員会、議会運営委員会視察終了と、報告をしないまま過ぎてしまいました。なかなか、毎日ブログを書くということは大変な作業であり、反省しております。

 決算特別委員会は、その前年度の決算内容全てを数日間にわたりチェックするものであり、委員は議員の中から原則各会派から1名選ばれており、9月議会終了後行われる。

私は、この委員会は一番大切だと認識している。市政も予算を立て、それを執行し、決算でそれをチェックし、翌年度の予算編成にそれを生かすというプロセスを踏む。いわゆるPDCAサイクルである。予算がプラン(P)であり執行がドゥー(D)ならば、決算はチェック(C)であり、かつアクション(A)である。予算特別委員会を行っていない東松山市にとって、決算から予算編成につなげる重要な委員会といえる。その認識があまりないように思われる。

私は、今回、この基本的なことを決算特別委員会の中で言わせていただいた。決算審査は一般会計、特別会計の全てにわたる。行政の説明は、主な事業に絞り説明する。質問は当然それ以外の全てにわたる。市民が来る一般質問と異なり、発言する委員は偏っているように思う。もっと、その重要性を認識すれば、発言も活発化するものと思われる。

決算特別委員会が終了し、議会運営委員会の視察へと向かった。議会運営委員会の視察は、議会改革の一つとして議会基本条例を生かし議会改革に取り組んでいる会津若松市議会、サンデー議会を行っている山形県上山議会を訪れた。

会津若松議会の徹底ぶりは凄かった。全国から視察が殺到するのもわかるような気がする。議会基本条例を作っている議会は多い。ただ、それを議会改革につなげている議会は、そう多くはない。東松山市も議会基本条例を作り、それを改革に結びつけるために取り組んでいる最中なので、視察先として選定したものと思われる。

私自身は、議会基本条例は全く必要ないというのが持論である。議会基本条例制定時に、私はいなかったので意見を述べる機会はなかった。

大学教授も半々である。議会基本条例も一種のブーム的な感がある。栗山町や、三重県にはじまり、全国に広がった。大学の先生も、その手助けとなった。

そのような中で、私は地方自治法も隅から隅まで読んだことがないのに、まず現行法でも十分ではないかと思っていた。大体、議会か゛条例をつくると、先進地の条例のコピー&ペーストであり、一部カスタマイズするために、その部分について議論するだけである。特に、情報公開条例や議会基本条例のような、一種のブーム的な条例については、そのような傾向がある。

みんな、どこか先進地の条例をたたき台に、自分の町のオリジナルを出そうとして、ちょっと変えてみる。それは良いことだが、中には前後の整合性が取れなくなっている条文が多々見られる。

情報公開条例については、私が一期生の時、情報公開の主語が市民に限定されていたものを『何人』に変えるように何度も一般質問で迫った。その時に、各自治体の情報公開条例を調べた。ほとんどどこも同じようではあったが、大きな違いが『何人』まで認めるか、『市民』に限るかという点と、『知る権利』まで条例に謳いこむかという点であった。

埼玉新聞の情報公開ランキングによると『知る権利』まで、謳っていることにランキングの点数が振り分けられていた。私は、せっかく作るのだから日本一の情報公開条例を作れと迫ったが、『知る権利』を読みこむのは、恥ずかしいから止めた方が良いと職員に言った。

『知る権利』については、一般的には憲法上認められた権利のようではあるが、最高裁判例ではそこまでは至っていない。最高裁の表現は微妙である。国の情報公開法も議論の末、このことを踏まえて『知る権利』を謳ってはいない。もちろん、法律でうたっていない権利を条文でうたうことも間違いではないのかもしれない。しかし、微妙なところである。

 知る権利は憲法上、認められるか否か議論されている権利であり、今のところ、最高裁によっては認められてはいない。その権利を条例の中でうたって、その個人の知る権利をもとに訴訟を起こすのか。疑問である。

しかし、そのような条例が増え、憲法訴訟が増え、下級審レベルから最高裁レベルで認められるようになれば、また話は変わるだろう。

最高裁一票の格差に対する判例が出たが、その判例によって国会や、政治家が動いた。いつか出るであろうという問題であっただけに当然と見る見方も大勢である。国会のこれまでの怠慢、不作為が取り上げられた。

話は変わるが、大学院に行っていた頃、特別講師で自民党の柴山先生が来られた。その最初の講義での学生への質問に、たしか『民主主義を一言で言うと何』そんな質問があった。私は即座に『治者と被治者との同一性』と答えた。柴山先生は、パーフェクトな正解であり、、即座に答えられたことは今までないとおっしゃられた。憲法を学んだ者にとっては当然のことであるが、法学部の大学院ではなく公共政策の大学院なので、そのようこたえる学生は少なかったのであろう。

どういうことなのか。治者は、読んで字のごとく治める者である。被治者は、その逆で治められる者である。それが同一ということは、どういうことなのか。それが民主主義と関係があるのか。このことを理解できると、憲法は身近なものであり、自分と深く関係してくることがわかる。この続きは、また、後ほど。