ヘッドロックの真相

 毎回、ヘッドロックの記事を見るたびに腹が立つので、はっきり書いておく。行政調査新聞の記事については、ほとんど嘘である。

 まず医師の話だが、事件の後、一週間たっても痛かったので、そこで初めて医者に行こうと思った。しかし、年末年始だったので年明けに医者に行くことにした。

頸椎捻挫と言われ、医師に『よっぽど痛かっただろうね』と言われた。診断書も書いてもらった。知り合いの医師ではなかったので、本人が言えば、診断書を書いてもらえるのか。そんなことをしたら医師法なり、違反になるのではないか。ちゃんと診察したから書いたのであろう。少なくとも有印私文書の偽造になるのでは。

そののち、弁護士と相談し、どうするか考えた。当然、告訴した後、いろいろな問題が生じることは想像にかたくない。

しかし、人の首に手を回しておいて、ただで済ませるわけにはいかない。私は、その時の議会で、産業廃棄物が市の購入した土地から出てきたことを、前もって市が知っていたのではないか、ということを追及していた。

この問題は、滑川高校西通線事件と呼ばれ、市長がNHKのニュースで謝罪することになった事件である。

その事件を追及していた私に、議会での打ち上げの二次会で、いきなり大きな声をあげて坂本俊夫さんが入ってきた。『鈴木、この野郎、産業廃棄物と一緒に埋めてやる』相当、酔っていたが、席が離れていたので無視をしてしいた。

西川実さんが、『ユンボなら貸すよ』と言っていた。俊夫さんは、トイレに立ったと思ったら、今度は私の隣に座り、首に手をかけて片方の手で、自分の手首を掴み、ヘッドロック状態になった。びっくりしたのは言うまでもない。1分くらい、その状態が続き、そのあとふざけているようなことを言い、力を緩めてきた。学校でいじめ問題が起きるが、ふざけてプロレスごっこをやっているのか、いじめをしているのか、先生にはわからない。周りの生徒もほとんど見て見ないふりをする。そこが、いじめが頻繁に起こっているにも関わらず発見されない理由である。

その時、私が少しでも手を出していたら、逆に私が暴行したとでも口裏を合わせて、やられていたであろう。

そのことを診断書をつけ、それこそ数日後、東松山警察署に被害届を弁護士と提出した。証人に一人議員がなってくれた。

俊夫さんは、すぐに警察で自供した。被害届のとおりだと。そこで検察に書類送検となったわけである。

担当の刑事さんが、すぐに狭山署に異動になった。これはまずいなと思ったが、その刑事さんは狭山署で仕事が終わったあと、東松山警察署に来て、書類を作成してくれた。私は、当初、頸椎捻挫なので傷害罪で起訴してくださいと言ったが、暴行罪で書類送検された。

そんなこともあって書類送検に6か月かかった。暴行罪というのは身体に対する違法な有形力の行使であり、その有形力が身体に当たることは要しない。たとえば、石を投げて、体のそばをかすめるだけで、暴行罪になる可能性もある。

6か月後、検察で自白を覆された。不起訴となってしまった。その前に、俊夫さんから一度電話をもらった。

その時、一度会ってお話をしたいということであったが、私は、今更遅いですよ、とお断りした。そこで、『警察から議員を辞めるということを聞いているが新聞に出たりして社会的制裁は受けているのだから、皆さんが議員として選んでくれている間は議員は辞めないでください』と言った覚えがある。


そのあとである。神島さんに相談したのは。神島さんに相談もしたが、あのようなコメントを出されたのはびっくりだ。あとで神島さんから『鈴木君ごめんよ。俺にも立場があるからさ』と言われた。

取引条件として、産業廃棄物の業者選定でしがらみをなくすこと、これは産業廃棄物の業者と指名業者を混同している。指名業者の指名である。産廃と一緒に埋めてやるというのと、指名業者がごっちゃになっている。正直、このようなことは私は言った。もう数カ月たち、怒りは消えていた。それなら、ひどい談合癒着状態を解消すべく、まさに市民のために、とりあえずは言ってみた。でも、そんなことはできるはずはない。癒着を断ち切れる議員などいるはずはない。私以外には。

墓地問題は全く的はずれである。墓地問題については署名だけでも6000近く集まり、どんどん輪が広がっていた。議員も、どんどん参加してきた。結局、全員一致で議会で条例が通った。これも市民のためになっただろう。

これだけ市民のためにやれば十分であろう。ただ、残念ながらこれらは交渉したわけではなく、市民が動いてくれて、他の議員が動かざるを得なくなっただけである。

URの土地については、何度か述べているが、全く根拠がない。市の仕事ではなく、URの仕事である。また、私が知った時点では、もう自治会、連合会とURで話か゛ついていて、一番近隣で迷惑がかかる住民4件には全く話がなかった。そして、業者が説明しに来た時には、ちゃんと6メートル道路がついていて、皆さんには迷惑をかけないと言って図面を作ってきた。まったくの言いがかりであり、竹森候補を応援していた指名業者のM氏がネタ元だ。

また、私は世間で言われるほど、坂本市長を嫌いではない。裏では手を結んでいるどころか、心のどこかで、いつも大変だなと思っていた。

まー、その原因の30%ぐらいは私に原因があり、30%は職員に、それを管理できない本人にも30%くらいは、その原因があると思われる。何度、市長も職員のミスで、私に追及されたか。

よく市長に話していたことがある。『市長、私は99%市長が正しい仕事をしていたとしても、1%の間違いがあれば、それを議会で追及しますよ。それが仕事ですから』そんなことを良く言っていた。市長も『わかっているよ』と言ってくれた。批判するには、きっちりとした資料が必要である。辞職勧告決議は死刑判決であり、それを下せるほど、判断資料がなかった。それと、あまりにも急な共産党の行動に、どちらかというと、市民の目もあるしとりあえずやっておけ、そんな感じがした。

まあ、そういうことだ。ただ、ヘッドロック事件があったことは事実であり、それにより市民にご迷惑をおかけしたことは確かである。深く反省したい。

その後、坂本俊夫さんとは、仲直りをしている。彼が、その後議長選挙に出た時、私も一票投じている。たまに白紙を投じる人がいるが、私は、そのような場合でも必ず一票を投じている。

坂本さんは、部屋まできて下さった。そして深々と頭を下げ、お礼を言って下さった。それ以降、私の心には坂本さんに対する蟠りは全くない。

ただ、行政調査新聞の記事を見るたび、私もどうしようもなく腹が立つのと同時に、坂本さんのことも気の毒に思う。何かあるたびに、お笑いヘッドロックの記事が一人歩きしてしまう。

市長選挙が終わった後、オンブズマンの代表の田中さんから、何度も謝りの電話があった。父親に最初誤り、私も電話に出ないようにしていたので、何度も電話があり、申し訳なかったということだった。

行政調査新聞をみんなに配り竹森候補を応援したことだろうが、私は許す気はなかったが、今は許している。ただ、この記事を見るたびに腹が立つ。何も知らない市民は、行政調査新聞をうのみにしたり、それを悪用する人がいるからだ。