市民病院がV字回復 土日・平日夜間の救急医療再開

市民病院の経営が上向きである。昨年の10月頃から改革プランの目標値に達し、その状況が今年度も続いているということだ。非常に良いことであり、関係者の努力に感謝したい。

 また、土日・平日夜間の救急医療も外科の先生方を中心に再開していただける見込みである。

私は、この2年間だけで7回の一般質問、通産15回の質問をしてきた。その内容は多岐にわたり、マクロミクロあらゆる角度で質問をしてきた。

市民病院の問題は、大きく分けて二つ。経営改善の問題と、救急医療再開の問題である。この二つの問題の根本にあるのは医師不足であることは、ある意味正しい。

しかし、それだけではない。これまで経営が悪化しているのも、救急医療をやれないのも全て医師不足の一言で済ませていた。私は、当初から、それだけではないと言いつづけていた。

経営内容をつぶさに見ると、それだけではないことがすぐにわかる。医師不足もあるが、経営の素人による放漫経営が一番の要因だ。当初、病院の総合管理業務は1億5千万円かけていた。入札をしているにも関わらず、毎年、同じ値段で落札されていた。

私は、当時の部長に『おかしいんじゃないですか。なんとかなりませんか』と言ってみた。部長は『なんとかしてみます』ということで、その年の入札で8千万円になった。なんと7千万円も下がった。なんとかなるんだ、と思い、入札制度がおかしいことにその時気がついた。部長が何とかすれば何とかなるんだ。これはおかしい。

それからは、徹底して入札制度に対して一般質問を繰り返し、1000万円以上は一競争入札にするように迫った。それまでは1億円以上でなければ一般競争入札はせず、談合の温床と言われる指名競争入札が原則として行われていた。これは大改革だったと思う。

私が市民病院の経営について、細かく質問することで気がついたことは、患者一人当たりの売上は、他の公立病院・民間病院に比べても断然高いのである。

それにも拘わらず、赤字である。これは経費がかかりすぎていることは間違いない。経費は、人件費・薬剤等の材料費・委託費・高熱水費が主なものである。

人件費は他の病院に比べて低く抑えられていた。特に、先生方の給料は低かった。それに対して事務職の給料は他の公立病院に比べても高かった。これでは、先生がいなくなるのも当然だ。そのことを指摘し、先生の給料を上げてもらった。平均200万円はあがったと思われる。

一番の問題は、人件費ではなく材料費であることが明らかであった。その原因の一つが、薬剤の購入である。同規模の病院では診療材料費は6億程度であるところ、市民病院は10億円かかっていた。院内処方をしていることが原因である。

そこで、薬剤の購入について徹底して追及をはじめた。私は、大きな利権があるのだろうと思ったからである。

民間であれば、薬剤の卸業者が医師を接待し、取引をしてもらうのは当然である。接待を受けても、合理的な判断ができれば、経営を圧迫するような取引はしない。接待は、接待。取引は取引である。

公務員の世界は、それは許されない。ちょっとでも接待を受ければ、手が後ろに回る。現実にはどうか。よくわからない。

ただ、薬を安く買っているのか。その点は議会で追及可能なので、そのことを質問した。良くつかわれる薬の単価について聞いてみた。

『高脂血しょうの薬リバロ1状、1ミリグラム、通常700タブレットで販売されているがインターネットでは、3万9900円で売っているところと、3万9950円で売っているところがある。割引率が21.6%と20.8%これだけちょっと調べただけで異なる。市民病院はいくらで購入しているのですか。その購入の仕方は』

これに対して『他の病院に比べても一番安く買っている。この値段を公表すると、他の病院に迷惑がかかるから公表できない。購入の仕方は、5社であい見積もりを取り、一番安いところから購入している』

値段も公表しないで、何故、他の病院に比べて安く買っていると言えるのか。私の追及は続いた。

『入札の時みたいに、徹底してやるぞ』その後だ、代表者会議に院外処方を行うということが、いきなり報告された。私は、ピンときたが、何故だと言っていた議員もいた。

これ以上、追及されたくはないのだろう。院外処方になり、薬剤費が大幅に削減された。また薬剤師も7人から3人に減った。
負担金・補助金・単年度損失の合計額が10億円から、5億円に減った。これは、すごいことである。

非常勤医師を8人解雇したが、その額はたった2700万円である。実は医師不足ではなかったのである。余っていたのである。私は、やめさせて大丈夫なのか、と迫ったが、たった2700万円のために辞めさせてしまった。


この後、さらに数人の医師と幹部職員が定年退職前に突如辞めた。医師が辞めたのは、残念だったが、その職員がこれまで市民病院の経営について深くかかわっていたのは間違いない。なぜ、やめたのか?