この度の震災にあわれました方に心からお見舞い申しあげます。

私は、震災があった直後、高坂駅、東松山駅にすぐに向かいました。高坂駅では、すでに帰れずに行き場を失った人々で混雑していました。『これは、まずい』と思い、東松山駅の現状を確認し、そして市の対策本部がたちあがっているのか確認に行こうと思い、407号を東松山駅方面に向かいました。

 野本付近で人々がぞろぞろ歩いており、車も東松山から高坂方面に向かう車で大渋滞していました。東京ほどではないですが、小さなパニック状態だと思いました。東上線の車両が高坂駅と東松山駅の中間付近で止まっていました。

 さらに『これは、まずい』と思い、東松山駅に新明町のプライス脇から回りこみました。ブロック塀が崩壊している場所を見つけました。粉々でした。

 すぐに駅に着くと、そこは思ったとおり、行き場を失った人たちであふれていました。そして、駅はもうすでにシャッターが閉められ、警察官と駅職員が配備されていました。

 私は、学生達に帰る先と、親と連絡がとれたかどうかを尋ね、ほとんどの子供たちが川越よりも先に帰らなければならないことと、連絡が一切とれないことを聞き出しました。

 すぐに、松山高校の合宿所を開けてもらい、そこで一時休憩してもらうことを考え、子どもたちにそのことを伝え、その場を去り、まず市役所に向かいました。そこで防災課に行き、災害対策本部が立ち上がっているのかを尋ね、市長はいるのか尋ねたところ、もうすでに『5時前に帰りました』とのことであった。では、誰が指揮を執っているのか聞いたところ、総務部長がいるとの事だったので、職員にすぐにジャンバーに着替え、駅に行き、現状と被害状況を確認するように伝えました。

 そして、すぐに総務部長のところに行き、現状を伝え、すぐジャンバーに着替え、手段を打つように伝え、次に松山高校に行きました。松山高校ですぐに生徒が帰ることができない状況になっていることを伝え、すぐに合宿所を解放してもらい、暖房をいれ、そして先生に駅に行ってもらい、帰れない生徒に声をかけていただきました。その後、2時間ぐらいしたら、東京でも、公立高校の開放がニュースで流れだしました。松山高校の協力により、いち早く一時待避所が確保できたと思います。
 
 その後、計画停電により、病院でも透析が出来ずに困っているとの相談がありました。市に相談もできないし、どこにも相談ができないとのことでした。
私は、知り合いの新聞記者各社に連絡して、取材してもらい、それを知事に持って行き、知事から国と東京電力に働きかけてもらおうと思いました。毎日の記者がすぐに来てくれて、取材してくれました。記事になりそうなので、その記事が出たらすぐ、知事にお願いに行こうと思っています。

 計画停電の対象として病院だけでも外してもらえるように、国、東電に働きかけてもらいます。

 実は、鳥インフルエンザの時も、知事にいち早くお願いに行っております。インフルエンザがはやる前、映画『感染列島』を観て、これは『まずい』と思い、すぐに関連する本を読みました。そして、東松山の保健所に『何か対策を打ったのか』と尋ねたところ、『今のところ何も』ということでした。すぐに、県庁に行き、知事に本を渡したところ、知事から『読みました。ありがとうございました』との連絡が来ました。埼玉県はいち早く、小学校にマスクを配り、国にも連絡を取っていただいたと思います。

 危機管理は、誰よりも早く『これは、まずい』と感じ、すぐに動き、そして『Too little Too late』にならないようにしなければならないと思います。