荒井桂先生を囲んで論語の勉強会

毎月15日、安岡正篤記念館にて、論語を学んでいます。講師の先生は、元埼玉県教育長の荒井桂先生です。

講義は宇野哲人氏の論語新釈を毎月数ページ、先生の指導のもと、読み進めます。

『子曰く、年寒うして然る後松柏の彫むに後るるを知る。』冬となり、季節が厳しくなって初めて、松の緑や、かやの木が最後まで枯れずに残っていることが分かるということです。普段は、小人も君子もわからないが、世の中が乱れた時、本当の君子かいなかがわかるということらしいです。

まさに、その通りだと思いました。

中国では、『賢』ということは、徳と才を指す言葉だということです。この両方を兼ね備えた人のことを『聖人』といい、才があるにも関わらず徳がない人のこと『小人』ということです。才がないが、徳がある人のことを『君子』といい、『君子』と『小人』は対の言葉ということです。

では、政治を任せるには、才があるが徳がない人と、才がないが徳がある人、どちらに政治をまかせるべきか。才があるが徳がない人に政治を任せると、自己のために政治を行いかねない。それならば、才はないが、徳のある人に政治を任せた方が、良いのではないか、ということです。

たしかに、そのとおりだと思います。

そんなこんなで、先生の深い教養と、論語の示唆に富む教えに毎回感動しております。

 ps 写真はまた後で掲載します。