全国市議会議長会研究フォーラム 2日目

2日目は、「議会基本条例について」。帯広市越前市伊賀市京丹後市の方が報告者として、それぞれ基本条例の内容、制定の経緯、苦労話等についての報告。

コーディネーター役は、明治大学の牛山先生。私は、何を隠そう牛山先生にご指導いただいた。先生は、中央大学出身で中央でも講義をされている。先生の講義は、まさに白熱教室であり、教室がいっぱいになる。3年ぶりの再会であり、ごあいさつを済ませてきた。

帯広市は新人1年目、一番最初に視察に訪れた市であり、その先進性については、当時も関心したことを思い出す。今回の基本条例の内容ついても、会派に所属しない議員の活動を制限しないことを条文でうたっていることに感激した。

また、全ての市が一問一答式を採用していた。何よりも全ての市が住民と何度もの議論を重ね、議会と住民で対話をしていたことに感動した。

どのような条例にすべきか、そして条例制定後も、その対話を続けていた。決して、議会だけで条例を作ったわけではない。どこかの条例をコピーしてきて、議員だけで議論を重ねて作ったものではないことに、皆さん、誇りを持っていた。

東松山市も議会基本条例を作ったが、その経緯についてはあまり分からない。市民との対話の結果作ったのかもわからない。私は、その時は、市長選に落選し、浪人であった。普通の市民だったが、議会基本条例を作るので、市民の皆さん、ご意見を聞かせてくださいとのお知らせはなかったと思う。

議会基本条例を作り、市民と定期的に対話をすることで、議員が勉強せざるを得なくなったとのことである。直接、市民から質問され、それにこたえる。また、反問権を行政側に認めることで、行政からも質問について、問いただされる。今までの原稿のやり取りでは許されない。結果として、議員は勉強せざるを得なくなるとのことであった。

また、議員同士の討論もこころがけていた。伊賀市では、運用において無会派の議員をまず議会運営委員会にまず指名するとのことであった。東松山市とは、全然違う。東松山市では、市民に開かれた議会をうたっているが、いまだに会派の代表者で開かれる代表者会議において、大筋が決まり、そののち会派に持ち帰り、全員協議会が開かれる。

会派に所属しない議員は代表者会議で意見も述べることができないばかりか、出席もできない。そして、この会議は議事録も残されない。
市民に議会を開くことは大賛成だが、その前に議員一人一人の活動を阻害せず、全ての議員を平等に扱うべきと考える。そして、会派の代表で構成される代表者会議は、まず、その法的根拠を示すべきである。

会派について、質問がなされた。うちの議会ではという前置きをおいて、伊賀市の方は、本来政策集団であるべきはずが、役員人事のためだけにしか機能していないとのこと。また、越前市の方は正直、議会活動を阻害するとまで言っていた。

議員一人一人が平等に扱われず、民主主義を勘違いし、数に任せて少数意見を抹殺する。このことを多数者支配民主主義というが、まさに日本的な民主主義である。

外国では、特にアメリカの議会においては、少数の意見の陳述の機会を保障する。そうでなければ、次の世代を担う意見、世の中を変える進歩的な考え方が抹殺されかねない。結果として、それは市民、国民にとって不幸である。

このことは、政治学の常識であり、ジョン・スチュワート・ミルなどを知っていれば当然のこととして理解できる。

議会基本条例については、学者の間でも議論が分かれる。憲法地方自治法があるのだから、必要ではないという意見。それでも必要という意見。

私は、憲法地方自治法をまず隅々まで学んでから、議会基本条例を作るべきと思っていた。しかし、今回の報告を聞いて、住民との対話を重視し、本当に開かれた議会、少数意見も抹殺しない議会まで至るなら、有益だと多少意見が変わった。

最後に質問をしようとして、大きな声で返事をし、手をあげたが、一歩及ばず、他の人が指名された。

その人の質問はなんと「一人会派の取り扱いについて」であった。まったく私のしようとした質問と同じだったことに仰天した。