甥っ子の野球を観戦。神奈川県大会を初めて見る。

中学校時代はシニアリーグで全国制覇。私もシニアリーグの監督を10年間やっていたが、関東大会にも出ることが出来なかった。それを考えると物凄いことだ。
高校の合格発表直前。ちょっと緊張気味。私の小学校低学年の時の顔にそっくりだ。


 今日は、初めて高校野球神奈川県大会を観戦した。小雨まじりの天気だったが、予定どおり試合開始。甥っ子も先発し、チームも勝利し、春の選抜大会に夢をつなげた。明日は、夏の代表校、横浜隼人と激突。なんとしても、勝ってもらいたい。明日は、残念ながら観戦することはできないが、今日の調子で勝ってもらいたい。

 わが松山高校も16日上尾高校と激突するが、決勝で上尾と戦って以来、私の記憶では2回、夏の大会で激突している。一回は、たしかホームランでさよなら勝ちをしたような記憶がある。その次は、延長戦の末、負けた。どちらも劇的な試合だった。

 さて、今回は?インフルエンザが心配だ。私も、松高野球部出身であり、現役時代はキャッチャーで、副キャプテンだった。1年生の時は、準優勝を味あわせていただいた。当然、ベンチには入っていないが、あの時の感動は、いまだに覚えている。

 そのときの選手である元滑川高校の監督、瀧島さんが、母校に部長として、戻ってきた。夏は、いきなり古巣である滑川との激突。そして、今度は上尾。宿命を背負った男の前には、神はいくつもの試練を与える。瀧島さんなら、やってくれると思う。

 私も長い間、野球の指導をしてきた。大学の時、3年間、母校でコーチをしていた。ベスト4に二回、ベスト8に三回入った。とても良い思いをさせていただいた。現役当時、ベスト8の壁が破れなかったので、とても嬉しかったが、本気で甲子園を狙っていたので、悔しさもあった。常に、春日部共栄、浦学をどう破るかを考えていた。夏、春日部共栄に一点差で敗れたり、大宮東を最後まで苦しめたり、あと一歩までいった。松高が私学の強豪を破るためには、それなりの工夫が必要だと思う。

 当時の大塚監督の指導で徹底されていたことが、いくつかある。とにかく短い練習時間て゛7時には練習終了、30分後には全員学校から出る。試合中、ミスした後、すぐに切り替えること。多くのことを学んだ。今も、私の中で生きている。大塚先生の言葉で一番印象に残っているのが『10年後が勝負』、『どこで負けても高校野球高校野球』この言葉が印象に残っている。前者は、おそらく補欠の選手に向けて、特に贈られた言葉だと思うが、私も常に10年後を視野に入れて、今を努力している。後者は、人数の足りないような学校でも、高校野球をやったことには変わらず、その費やした努力時間の尊さは、甲子園に出た学校、人数が足りなくて出られなかった学校、そこには差がないということだと思う。

 野球のことを語りはじめたらとまらない。バッティング理論、ピッチング理論、戦略、精神論、語るに尽きない。自制しなければ、このブログがすべて、野球談義になってしまう。『野球は子どもを大人にし、大人を子どもにする』というが、まさに、そのとおりだと思う。野球の球の縫い目は108あるという。除夜の鐘と同じ数だ。野球に関する悩みは108では尽きない。語り始めたら止まらない。